Friday, 23 June 2017

いい音の正体とは


「いい音ってなんだろう?」ってたまに考えるが、いつも結局よく分からなくなる。音は体と心で感じるもの。頭で考えてたらどうしても行き詰まってしまうかもしれない。でもその正体が知りたい…。

ちょうど2年前にHPのコラムで「よい音」について書いたことがある。
良い音を感じるレコードを何枚か挙げているが、今でも好きなレコードばかりだ。コラムでも書いているように、個人的な「よい音」は、結局、音が心の琴線に触れた瞬間なのだと思う。そういう瞬間を体験したレコードはいつまでも「よい音」として記憶されている。

またそのコラムでは、普遍的な良い音、HORA AUDIOの目指す音は、「自然の音」だと書いている。今でもそう思うのだが、みんなにとってはどうなのだろうか。
自分以外の人が思う「いい音」がどんな音なのか気になっていて、何かイベントにできないものかとずっと思っていた。それが実現することになった。イベント名は直球で「いい音ってなんだろう?」にした。

音の案内人、山食音の東さんは、店名があらわすように、山と食と音に繋がった活動をされている。僕が初めてお会いした時はウリチパン郡のレコ発ライブで、出演された二階堂和美さんの録音で来られていた。ずっと音の人だと思っていたら、食に関する活動を知り、その後、山にまつわる噂を聞いた。

日常的に音について考えていると、自然だけでなく、食のことが連想されることが多々ある。三つの要素を同じ感覚で捉えている東さんに「いい音」についてのお話と音を紹介して頂いたら面白いに違いないと思い、イベントをお願いした。東さんならオーディオや音響の世界のみならず、普段音に興味のない方も楽しめる幅広い内容になると直感的に思った。

当日は、東さん日常的に録られてるというフィールドレコーディング音源も聴かせてくれるそうだ。「いい音」という難しいお題を東さんがどう料理されるのかとても楽しみにしている。

(青柳)

Thursday, 22 June 2017

The Kitchen Counter Cooking School

邦題「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」キャスリーン・フリン という本をを読んだ。正直、本屋でこのタイトルと表紙をちら見してもたぶん読まなかっただろうなと思う。わたしにとってはあまりそそられるタイトルではなかったから。

じゃあなんで読んだかというと、とある書評を読んで気軽な気持ちで手にとったら・・キャスリーンさんとわたし、食に対する考え方が通じるものがあり、じんときてしまった。思春期のころ、家庭科の授業から料理をすることにはまっていったことを思い出した。

わたしが毎日の料理をするときにおもっていること。「旬のものを食べること。なるべくその土地のものを選ぶこと。調味料は厳選してよいものを使うだけで、いろいろなドレッシングや汁をつくることができる。家庭料理はシンプルでさっとつくれるものが、一番。そして道具もたくさん持たなくてもいいからきちんとしたものを揃えること。冷蔵庫はちいさめでよい。楽しむこと!等」

読みやすい訳だった。翻訳家の方が気になって調べてみたら・・・なんと琵琶湖のほとりに住んでいるとのこと。なんだかうれしくなった。

(my)


Wednesday, 21 June 2017

梅雨には梅雨らしく

梅雨入りしたはずなのに、雨が降らない日がつづいていた。田んぼの水がなくなって土がひび割れているところがあったりして、農作物がとても心配だった。

昨日の夜からまとまった雨が降った。でも、なんか変だ。しとしとした梅雨の雨というよりは、夏の集中豪雨のようだった。井戸の水は溢れ、雨漏りもした。このまま続いたらどうしようと思っていたら、あっけなく夕方にほとんど雨はやんでしまった。

梅雨はうんざりするくらい雨の日が続かないと本物とはいえない。じめじめした感じも日本の四季にとっては欠かせないと思う。このまま夏本番になってしまったら、梅雨時期に聴きたくなる音楽が思い出せず来年まで封印されてしまう。

梅雨には梅雨らしくしてくれないといろいろと困る。

(青柳)

Tuesday, 20 June 2017

足るを知る

たくさん持つことや便利がよいとされる現代。はたしてそうなのだろうかという疑問がある。

便利になれすぎたら、感覚が鈍くなっていくような気がする。

自分にとっての丁度よいという加減がある。ものと価格のバランス。便利の裏側にあるデメリット。どんなものにも長所と短所があるということ。

例えばだが、いくつも鍋があっても使わなくては意味がない。すこしの鍋でも工夫したらいろんな料理をつくることができる。逆に、すこしだからこそいろんな工夫がうまれる。手を動かす喜びと達成感もおまけについてくる。

一面的ではなく多面的に物事をみる。便利とおもわされて大事なことを見失ってしまったら意味がない。直感を磨き、本質を見極めることができるようになりたい。

(my)

Monday, 19 June 2017

井戸そうじから学んだこと

horaanaには井戸がある。深く掘られたものではなく、自然と水が湧き出てくるような小さな井戸が「水屋」と呼ばれる昔の台所の中にある。
引っ越して来たときから、井戸の中には長年の泥がたまって淀んでいた。水はいつも土の色をしていた。
雨が降ったら水かさが増え、雨が降らないと少なくなる。だからといって、水が無くなることはない。最低量はある程度一定にキープされている。

先日思い立って井戸のそうじをしてみた。
ポンプで井戸の水を外に排出してから、ひたすら泥をバケツでかき出す作業を繰り返した。泥の中から茶碗のかけらが出てきたりした。泥が少なくなってくると井戸の底と脇に穴が開いているのが分かった。意外と小さな穴だ。泥が詰まっているので棒でつついた。

ほぼ泥を出し終わった頃、脇の穴から透明の新しい水が流れ込んでいるのが見えた。
濁水が流れ込んでいるわけではないのであれば、井戸の水がきれいになるのかもしれない!
そう分かると一気に楽しくなって、作業をやり終えた。

翌日井戸を見ると水量は、そうじ前とほぼ同じになっていた。水はそれほどきれいではなかったが、格段に透明度が増している。柄杓で水に浮かんだ不純物を掬う作業を日課にすることにした。

日に日にきれいになっていく井戸の水を見ていると、いままで井戸は「ただ淀んでいたのではなくて、見えない所にちいさな流れがあって、生きていた」ということに気付いて感慨深くなった。
今までの人生、どうしようもなく停滞しているように感じる時期もあったけど、実は見えないところに流れがあって、だから今の自分がいる、ということを井戸から教えてもらったような気がした。

(青柳)



Saturday, 17 June 2017

傍観者と当事者

本日とある業務を、(青柳)から引き継いだ。

傍観者でいるときは、やれ注文を出したり気楽な気分で批判したりしていたが、当事者になったとたん、緊張したり簡単だとおもっていたことが意外と大変だったり。

頭の中で考えていることを、実際に行動するしてみるのは思っているより難しい・・・のだけれど、達成感は比べ物にならない。

責任はともなうけれど、傍観者よりも実際に行動していくほうがおもしろいなとやっと分かりつつある。いくつになっても日々修行のようで、知らないことがいっぱいあることに気付かされる。

(my)

Friday, 16 June 2017

Melodia


「ゆうきの体温」の時YTAMOさんが持って来てくれた愛聴盤の中に、ALEJANDRO FRANOV "Melodia"があった。
アレハンドロの音楽は大好きなのだが、 "Melodia"は聴いたことがなかった。気になったのでライブ開演直前にBGMでかけてみると、不思議な響きのピアノ音が会場に広がった。波紋のようだった。一聴してこれはすごい作品であることが分かった。
翌日すぐにCDをネットで探すが、見つからない。と思ったら、ジャケット違いで再発されていて、ホッとした。
今日CDが届いてからずっと聴いている。ピアノの残響音がとても気持ち良い。ブエノスアイレスのスウェーデン教会で曲ごとにマイクの位置を変えて録音されたらしい。”malmsjö”というスウェーデン製グランドピアノの響き。

「充分に傾聴された音は、彫刻に変化しつつ、一つの空間を規定していく」

ライナーノーツに載せられたジョン・ケージの言葉を噛みしめながらもう一度再生ボタンを押す。

(青柳)